常識がある人、非常識な人の違いはどこにあるのでしょう?
そのような疑問に脳神経外科専門医であるへなおがお答えします。
このブログでは脳神経外科医として20年以上多くの脳の病気と向き合い手術、血管内治療、放射線治療を中心に勤務医として働いてきた視点から、日常の様々なことを脳科学で解き明かし解説していきます。
基本的な知識についてはネット検索すれば数多く見つかると思いますので、ここでは自分の実際の経験をもとになるべく簡単な言葉で説明していきます。
この記事を読んでわかることはコレ!
- 常識の問題にまつわる「常識推論」についてわかりやすく脳科学で説き明かします。
“常識”と“非常識”の違いはどこにある?
常識の脳科学
- “常識”と“非常識”をしっかり理解しておくことはとても大切です。
- “常識”は時代と共に変化していきます。
- 脳は日常的に自分にとって“当たり前”のことを“常識”として推論する「常識推論」を好んで用います。
- 将来AI研究が進みAIによる「常識推論」が人間を凌駕(りょうが)する時代がやってくるかもしれません。
あなたのまわりにも“常識がある人”と“常識がない人=非常識な人”がいるはずです。
他人の気持ちに配慮できるか
常識がある人はお互いが気持ちよくすごすために他人に対して配慮することの大切さを理解しています。
一方で非常識な人は“自分さえよければいい”と自分勝手な考え方が基本で思いやりや配慮に欠けています。
空気を読めるか
場の空気を読んで雰囲気を察知してまわりの人の感情に配慮できる常識人です。
トラブルを避けておだやかに過ごすには時に自分の意思をおさえて相手に合わせることも必要です。
一方で非常識な人は他人の感情に関心がなく自分勝手に振る舞います。
言葉遣いがていねいか
他人に対してはていねいな言葉遣いをするのはマナーです。
親しい関係でも最低限の敬意を払うのが常識人です。
一方で非常識な人は誰に対してでもタメ口で相手の気持ちや立場を尊重した言葉遣いができません。
ルールを守れるか
他人の物を盗まない、目上の人には礼儀正しく振舞う…など法律をはじめとして社会のルールをちゃんと守れるのが常識人です。
一方で非常識な人はポイ捨てをしたりごく当たり前の礼儀やマナーが欠けていたりします。
一般常識を知っているか
小学校の教科書に書かれているような知識的な一般常識があるのが常識人です。
簡単なところでは地名や著名人の名前などを知っているかどうかです。
人として当然とされる知識の有無によって常識的かどうかがわかります。
心から謝罪できるかどうか
自分の非を認め謝罪できるのが常識人です。
他人に迷惑をかけたり嫌な気持ちにさせたりした時に謝るのは同然のことです。
一方で非常識な人は自分の非を認め真摯(しんし)に謝罪することができません。
時には他人や環境のせいにして責任逃れをしようとします。
このように“常識と非常識の違い”にはさまざまありますが非常識な人とうまく付き合っていくことはとても難しいのが現実です。
そもそも自分のことを“常識がある人”と思っていても他人から見れば“非常識な人”であることはよくあることです。
他人を“非常識な人”と非難する前にまずは“常識”に関する知識をしっかりと身につけておきたいものです。
“常識”は時代とともに変わる
『常識』
じょうしき common sense
ある社会のある時期において一般の人々がとくに反省することなく当然のこととして共通に認めている意見や判断のことであり、その社会の歴史のなかから自然に形成される。
したがって常識という時なんらかの立場や方法論を前提とし、しかもそれを自覚して成立する判断であるところの学問的な知識としばしば対立させて使われる。
あらためて“常識”を調べてみると難しいものです。
簡単に言えば“常識”とは「一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識、意見や判断力」です。
つまり“常識”とは「普遍的な知識=学問的な知識」ではなく「その時代において一般的に共通に認められる知識」なのです。
そのように考えると“常識”は時代とともに変化していくわけです。
「昨日の常識は今日の非常識」「今日の常識は明日の非常識」なんて言いますがまさにその通りです。
常識の問題にまつわる「常識推論」とは?
あなたはペンギンが鳥類だと知っていますか?
“鳥は飛ぶもの”と考えれば“ペンギンが鳥である”ということはなかなか理解できないかもしれません。
“鳥は飛ぶもの”という一般的な知識や普段のくらしの中で培(つちか)った「だいたいいつもこう」であるという考えで常識を語ろうとするのが「常識推論」です。
“ペンギンは昔は空を飛んでいた”なんて話もありますが現在ペンギンは鳥類ペンギン目ペンギン科に分類されています。
かつてペンギンは鳥とは思われていませんでしたが今では“”ペンギンは鳥である“というのは常識かもしれません。
脳は自分のまわりや自分自身が置かれている状況や環境へのリアクションとして日常的に推論で常識を語っています。
もっとわかりやすく言えば…
「電車は並んで待つもの」
「年上は敬(うやまう)うべきもの」
常識推論は社会生活を送るうえで非常に重要な働きをしています。
常識推論が社会に秩序をもたらしていると言ってもいいでしょう。
また日常生活においてわたしたちは日々常識推論を用いて周囲との関係をうまく構築しています。
あなたは休憩時間に自分の分のコーヒーをいれようと考えました。
自分のデスクのとなりでは先輩が朝からずっと明日のプレゼンの資料を作っています。
このように考えてあなたはコーヒーを先輩のところに持っていきます。
良かれと思ってした行動だっただけにあなたは内心ショックを受けるかもしれません。
しかしわたしたちが普段何気なく常識推論を行っているのだということを意識していれば、常識推論において用いることのできる情報を日々アップデートしてもっと相手の状況を思いやった一歩進んだ気遣いができるようになるはずです。
このように脳の中で“常識”と思っていることでも「だいたいいつもこう」という推論で論理を展開していることはたくさんあります。
AIが「常識推論」を凌駕(りょうが)する時代へ
現在ではコンピュータが人間に代わってさまざまな仕事をしてくれています。
中には人間ができることはコンピュータにすべて行わせることができる、今は出来なくても将来的には可能になる…などと考えている人も少なくないでしょう。
「人間らしさ」の複雑さ
もともとコンピュータは数値計算やデータ処理など人間が行うと多大な労力と時間を伴うようなルーチンワークを肩代わりする道具として利用されてきました。
しかし近年コンピュータは飛躍的に性能を向上させこれまで人間が解けなかったような計算をいとも簡単に解けるようになりました。
またインターネットの普及によりコンピュータは計算だけでなくコミュニケーションにおいても欠かせない道具となり人間の社会生活のあらゆる側面を支えています。
このように高性能化、高機能化されていくコンピュータは今後技術の発展によってどこまで人間に近づくことができるのでしょうか?
古くから知能を持ったコンピュータの実現は人間の夢でした。
現在のコンピュータはさまざまな人間の知的活動を代行できるようになりましたが、その多くは人間が作り出したプログラムに従って動いているにすぎません。
今後コンピュータがわたしたちの日常生活により身近なものとして浸透していくためにはプログラミングなどのコンピュータの専門知識を持たない一般の人でも簡単に扱うことができて、またコンピュータ自身が能動的に人間の思考や発想を支援するような技術が必要です。
このように知能を持ったコンピュータの実現に向けて人間の知能のメカニズムを解明しそれをコンピュータ上で実現するためのものがまさに人工知能(AI:Artificial Intelligence)です。
“AIの脳科学”についてはこちらの記事もご参照ください。
参考人工知能(AI)は人間の脳を超えるのか?~AIができることを脳科学で探る
人工知能(AI)は人間の脳を超えることができるのでしょうか? そのような疑問に脳神経外科専門医であるへなおがお答えします。 このブログでは脳神経外科医として20年以上多くの ...
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しかし現代のAIではまだ人間の能力を超えることはできません。
わたしたちが日常よく使う「AならばB」は「A」から「B」を導き出す単純な推論で“モーダス・ボネンス”と呼ばれます。
“推論の脳科学”についてはこちらの記事もご参照ください。
参考【誰もがハマる言葉のワナ】肯定と否定を言い換えて誤った推論をしていませんか?「誘導推論」を脳科学で探る
あなたは日常において肯定と否定を言い換えて誤った推論をしていませんか? そのような疑問に脳神経外科専門医であるへなおがお答えします。 このブログでは脳神経外科医として20年 ...
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モーダス・ボネンスを積み重ねると「AならばB。BならばC。よってAならばC」という推論が成り立ちます。
これは“演繹(えんえき)推論”と呼ばれ推論の単調な積み重ねでありコンピュータが得意とする推論です。
しかしわたしたちの日常生活においてはこのような単調な推論で対処できる状況は限られていて多くは非単調な複雑な推論が要求されます。
常識推論においてはそこに含まれる推論の中にはどのようにしてコンピュータに行わせればいいのかが完全には明らかになっていないものもたくさんあります。
それだけ人間の思考や推論の仕組みは複雑な構造をしているのです。
AIが「人間らしさ」を理解する日も近い
AIが「人間らしさ」を取り入れるには人間が日常的に行っている常識推論のようなことをできるだけ抽象化して機械化する作業が必要です。
「人間らしさ」を数学的に形式化しAIで実現する研究はますます盛んにおこなわれています。
またAIが「人間らしく」常識推論を行うためには人間が持っている知識をコード化して蓄積しさらにどのような形式で表現するのかという「知識表現」を学ばせる必要があります。
さらには詰め込んだ知識を日々アップデートする必要があります。
現代の情報化社会ではすべてが目まぐるしく変化しています。
ですから時に古い情報は新しい情報と一体化すると矛盾が生じてしまうことはよくあることです。
“知識の脳科学”についてはこちらの記事もご参照ください。
参考知識を深めて身につける方法~「わかった」があなたの脳を狂わせる
知識を深めて身につけるにはどうしたらいいの? そのような疑問に脳神経外科専門医であるへなおがお答えします。 このブログでは脳神経外科医として20年以上多くの脳の病気と向き合 ...
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人間は経験や学習を通じて自らの知識を増やし成長し進化していくことができます。
一方現在のAIは受動的で人間がプログラムを作製して入力しないと動作しません。
将来的にAIが人間のように能動的に学習し進化する機能を持ち未知の入力情報に対して自ら適応する能力が備わればAI独自の常識推論を展開することも可能となるかもしれません。
そうなれば人間の労力は軽減しAIの利用価値はさらに高まるでしょう。
しかしそこで問題となるのは“AIは倫理的主体となり得るのか?”ということです。
たとえばAIが人を傷つけたり殺してしまったりした時にそのマシンは殺人者としてその罪を追及されるのでしょうか?
罪を犯したのは確かにAIかもしれません。
しかしそのAIを作り上げたのは人間です。
倫理的主体としてのAIのあり方については奥が深すぎるのでここではこれ以上の議論は避けましょう。
しかしいつの時代かAIが「常識推論」を凌駕(りょうが)する時代となった時わたしたち人間はどのように立ち振る舞うのが“常識”なのかを今から考えておく必要があるのかもしれません。
“常識の脳科学”のまとめ
常識の問題にまつわる「常識推論」についてわかりやすく脳科学で説き明かしてみました。
今回のまとめ
- “常識”と“非常識”をしっかり理解しておくことはとても大切です。
- “常識”は時代と共に変化していきます。
- 脳は日常的に自分にとって“当たり前”のことを“常識”として推論する「常識推論」を好んで用います。
- 将来AI研究が進みAIによる「常識推論」が人間を凌駕(りょうが)する時代がやってくるかもしれません。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
今後も長年勤めてきた脳神経外科医の視点からあなたのまわりのありふれた日常を脳科学で探り皆さんに情報を提供していきます。
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