本音と建前はどう使い分けるのが良いのでしょう?
そのような疑問に脳神経外科専門医であるへなおがお答えします。
このブログでは脳神経外科医として20年以上多くの脳の病気と向き合い勤務医として働いてきた視点から、日常の様々なことを脳科学で解き明かし解説していきます。
基本的な知識についてはネット検索すれば数多く見つかると思いますので、ここでは自分の実際の経験をもとになるべく簡単な言葉で説明していきます。
この記事を読んでわかることはコレ!
- 「本音と建前」の意味と使い分けについてわかりやすく脳科学で説き明かします。
「本音と建前」ってどういう意味?
「本音と建前」の脳科学
- 日本人は本音を嫌い建前を好む傾向があります。
- うまく生きていくには時には本音、時には建前をうまく使い分ける必要があります。
- 本音をさらけ出してオープンな人格を出してもいいことは何ひとつありません。
- 本音を隠した建前の外向きの「二番目の人格」を作り出すことで「本音と建前」をうまく使い分けてみてください。
「世の中は本音と建前の社会なのだから、これをちゃんと理解して使い分けていかないといないとうまく生きてはいけない。」
そんなことをいう人がいますがあながち間違えてはいないでしょう。
時と場合によってうまく本音と建前を使い分けることが大切です。
ではそもそも「本音と建前」とはどのような意味なのでしょう?
またうまく「本音と建前」を使い分けるにはどうしたらよいのでしょう?
【本音】
本心から出た言葉。本当の心。真実の気持ち。
【建前】
基本となる方針や原則。表向きの考え。
辞書で調べるとこのような意味になります。
しかし建前は“表向きの考え”であって“本音”でないので“建前=ウソ”だと思われがちです。
確かに“ウソ”という言葉を調べると、“事実でないこと。人をだますために言う、事実とは違う言葉”または“適切でないこと。望ましくないこと”となります。
“嘘つきの脳科学”についてはこちらの記事もご参照ください。
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しかし建前とウソは明らかに違います。
ウソは“自分の利益になること、あるいは自分が損をしないために他人をおとしいれるために使われるもの”です。
それに対して建前は“自分と相手との考えの違いを相手を不愉快にさせずに伝えるために使われるもの”であって決してウソではありません。
ですから建前をうまく使いこなすことが求められるわけです。
そもそも日本人は本音を嫌う傾向が強い人種とされています。
建前は対外に向けた表向きの方針、社会が求めている答えなので、相手との関係を存続させるためには欠かせません。
たとえば何かを断る時に日本人はすぐさま「NO」とは言わずに「もう一度考えます」「検討します」と言います。
このような時にはっきりと「NO」と言わないのは、「NO」と言うことにより相手が気分を害し自分との関係をこじせるかもしれないからです。
わたしたち日本人はこのように周囲の空気を読み、時には本音、時には建前をうまく使い分けて生活しています。
「本音と建前」を使い分ける必要がある理由
オープンで裏表のない人はこれから何をしようとしているか、何を考えたり感じたりしているのか、今腹の中で何を企んでいるのかまで、すべてが手に取るように読めてしまいます。
ですからこのようにありのままの自分を隠そうとしないオープンな人とは親密で心地よく効率のいい付き合い方ができると思われがちです。
そもそも世間一般的にも自分の本音をオープンにすることはもてはやされます。
”オープンな人付き合い”がテーマのセミナーもよく見かけます。
リーダーシップについて書かれた本には本音での指導をすすめる項目がありますし、成功の秘訣をあつかうブログでも“できるだけ本来の自分のままで正直であれ”などといったアドバイスはつきものです。
見せかけだけの人間に時間やお金を投資しても無駄になるだけ…そんなことをいう人までいます。
ここでオープンな人の極端な例について考えてみましょう。
あなたはけた外れにあけっぴろげな性格のAさんと昼食をとる約束をしています。
しかし約束の時間になってもAさんは現れません。
1時間も遅刻してAさんはようやくやってきましたが髪はぼさぼさでだらしのない姿で現れました。
Aさんは席に座るや否や大声で話し始めます。
あぜんとしたまわりのテーブルの客たちの手が止まります。
Aさんはまわりの目など気にすることなく話し続けます。
さらにAさんはあなたが注文して飲んでいたグラスをつかんで一気に飲み干します。
メニューを見て注文が済むとAさんはテーブルに突っ伏して眠り始めます。
あなたは他の客たちの視線の集中砲火を浴びまくりです。
注文した料理が運ばれてくるとAさんは突然目を覚まして起き上がります。
さらには運ばれてきたパスタを指でつまみ上げてソースにからませてから顔を上向きにして大きな口の中に放り込みます。
さらには昨日の夜に見たまったく意味のない夢の話についてことこまかに話をします。
挙句の果てには「お金がないから」と言ってお勘定を押し付けてきます。
これはあくまでも極端な例ですが、この話から分かることは自分の本音をオープンにしすぎるのも考えものだということです。
どんな場合でも一定の礼儀やマナーや自制心はあってしかるべきです。
周囲に不快感を与えないための気遣いと言い換えてもいいでしょう。
わたしたちはネットの世界ではもうとっくにAさんのレベルまで落ちてしまっているかもしれません。
しかしせめて誰かと面と向かっている時くらいは建前という名の気遣いを忘れたくないものです。
自分の本音をどの程度までオープンにすべきなのか、どの程度建前で隠すべきなのかはうまく生きていくうえではとても重要なのです。
「本音」をさらけ出さない方がいい理由
いずれにしも「本音と建前」はうまく使い分ける必要があります。
さらに言えば本音をあけすけに語ることをあまり重視しすぎるのは辞めた方がいいでしょう。
ではその理由をご説明しましょう。
そもそもそれは本当に本音なのか?
本音をさらけ出さない方がいい理由の1つ目は「わたしたち自身、自分のことを本当に分かっているとは限らない」ということです。
あなたは自分のことをちゃんと理解しているでしょうか?
自分の心の声は信頼のおけるコンパスとは言い難くちぐはぐな動きでいつも自分自身を混乱させているはずです。
ですから自分ですら自分のことはわからないものです。
そんなわたしたちが自分の本音を語ることにどんな意味があるのでしょう?
自分が本音と思っていることを肩って言い相手はせめて自分のことをよく知るあなたのパートナーやごく身近な家族や友人くらいでしょう。
表面的な付き合いしかない人に本音を語ってみてもなにも意味はありません。
ましてや公共の場で本音をさらけ出すなどもってのほかです。
ネットで自撮り動画と共に本音と称して言いたいことを言いまくって誰かに共感してもらいたいと訴える人を最近よく見かけます。
しかし多くの場合は本音と言いながらあくまでもただのパフォーマンスにすぎず真の本音とは言い難いでしょう。
当然見る方もそのことはちゃんと承知しておくべきです。
”フェイクニュースの脳科学”についてはこちらの記事もご参照ください。
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本音を言っても誰も尊敬はしてくれない
政治家、社長、有名な研究者や経済学者など世間一般的に尊敬されている著名人の中で折に触れて公の場で胸中を打ち明けている人物がいるでしょうか?
おそらく誰もいないはずです。
自分の本音をいくら打ち明けても誰からも尊敬はされません。
凝地にした約束を果たしてこそ尊敬されるのです。
ですから本音をあけすけに語ってもそれは自分を滑稽に見せるパフォーマンスにすぎないのです。
本音をさらけ出しすぎると攻撃される
生物は細胞から作られています。
どの細胞も細胞膜におおわれていて有害な物質の侵入を防ぎバリアを通過させる分子を視覚に選別しています。
生別レベルでも同様の働きを持つ同じような仕組みが存在します。
動物には皮膚があり、植物には樹皮があります。
外界との境界がない生物は長くは生きられません。
人間の心や脳も同じです。
本音をさらけ出すオープンさの度合いは心理的なレベルでのバリアの厚みのようなものです。
バリアをまったくもたずに本音をむき出しにするのはまわりの人に“自分を都合のいいように利用してください”と差し出しているようなものです。
ですから本音をさらけ出していると時には攻撃の標的になることもありえるので注意が必要です。
「本音と建前」の適切な使い分け
『自分は意識的に「外の世界に向けた人格」を作り上げていた。』
ドワイト・D・アイゼンハワー 第34代アメリカ合衆国大統領
「外の世界に向けた人格」こそがまさに「建前」の人格であり「二番目の人格」です。
「二番目の人格」は「本音の自分こそが唯一無二の自分である」という考えと対極をなしています。
しかし「二番目の人格」は作為的に作られた虚像というわけではありません。
安定した信頼を勝ち得るためのあくまでも「外向きの顔」です。
この人格には迷いや挫折感や失望感はありません。
そういった本音は秘かにつけている日記やパートナーや枕に向けて吐き出すものであって建前には必要ないものです。
みなさんにもぜひ「二番目の人格」を作り上げることをぜひお勧めします。
そのためには本音を出しすぎず、約束したことを守り、あなた自身の信条に従った行動をとれば十分です。
それ以外のことは他人からはほとんど注目されないし見向きもされません。
どの国にも外交政策があって外務大臣がいます。
あなた自身を“ひとつの国”と考えて、外の世界に向けたあなたの外交方針を詳細に書き出してみてください。
外交官を務めるのはあなた自身です。
あなたの内政と外征の両方をあなた自身が兼務するのです。
あなたのまわりの人達は外務大臣が胸のうちをさらけ出すことを望んではいません。
さらに言えば外務大臣が弱みを見せることも、自信をなくしたからといって大げさに嘆くことも望んではいません。
周りの人達が外務大臣に期待するのは約束を実行すること、協定を守ること、大臣にふさわしい態度をとること、陰口をたたかず、不平を言わず、ある程度の礼儀をわきまえていることです。
時々外務大臣としての自分の出来を評価して次も自分を再選させたいかどうか考えてみるのも良いでしょう。
「二番目の人格」でも「外務大臣」でもとにかく皮膚や樹皮のようなバリアの役割を果たす「建前」の自分こそが有害な影響から自分自身を守ってくれると気づくはずです。
またそのようなバリアがあなたの内面も守り安定させてくれます。
どのような世界においても「外の世界」との区切りが境界線によって明確になれば「内側の世界」もしっかりと理解できるようになるはずです。
たとえ世間の人達やあなたの同僚や見せかけの友人から「もっと本音をさらけ出す」ことを求められたとしてもその言葉の誘いに乗ってはいけません。
自分の感情をすべてさらけ出していてはうまくは生きてはいけないのです。
“「本音と建前」の脳科学”のまとめ
「本音と建前」の意味と使い分けについてわかりやすく脳科学で説き明かしてみました。
今回のまとめ
- 日本人は本音を嫌い建前を好む傾向があります。
- うまく生きていくには時には本音、時には建前をうまく使い分ける必要があります。
- 本音をさらけ出してオープンな人格を出してもいいことは何ひとつありません。
- 本音を隠した建前の外向きの「二番目の人格」を作り出すことで「本音と建前」をうまく使い分けてみてください。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
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