努力すれば必ず報われるんですか?
そのような疑問に脳神経外科専門医であるへなおがお答えします。
このブログでは脳神経外科医として20年以上多くの脳の病気と向き合い勤務医として働いてきた視点から、日常の様々なことを脳科学で解き明かし解説していきます。
基本的な知識についてはネット検索すれば数多く見つかると思いますので、ここでは自分の実際の経験をもとになるべく簡単な言葉で説明していきます。
この記事を読んでわかることはコレ!
- 努力できないことの意味を脳科学で説き明かします。
知っておくべきなのは誰でも努力できるわけじゃないってこと
”努力できない”の脳科学
- 人が努力できるかどうかは生まれつきの才能でほぼ決まっています。
- 努力してもできないこと報われないことはあるのでその見極めは重要です。
- 努力できることは素晴らしい才能ですが努力できないことも素晴らしい才能です。
- 努力できないからこそ逆にできる能力があることを理解しましょう。
多くの人は「努力」と聞くと尊敬すべきもの、美しいものといったポジティブな印象を抱くのではないでしょうか?
確かに努力を積み重ねてできなかったことができるようになったり夢がかなったりすることはとても素晴らしいことです。
たとえ目標が達成されなくとも努力して夢かなわずであれば賞賛されます。
一方で努力しないことはとてもネガティブな印象を与え時には卑下されることさえあるかもしれません。
たいして努力もせずに夢を達成してしまうと

なんて軽んじて見られてしまいます。
そもそも努力は目に見えるものではなく何かで測れるわけでもないのでとても抽象的な概念です。
努力を辞書で調べると次のように記載されています。
【努力】目標実現のため、心身を労してつとめること。ほねをおること。
ではなぜ人は努力という言葉にそこまで翻弄(ほんろう)されるのでしょうか?

そんな風に言う人がいますがその考えは脳科学的にそもそも間違えています。
努力できないの脳科学-その1
人が努力できるかどうかは気合や根性の問題ではなく生まれつきの才能でほぼ決まっています。
つまり生まれた時点で努力できる人とできない人にすでに分けられているのです。

なんて否定的な意見を持つ人もいるかもしれません。
しかし努力が生まれつきの性質であることはすでに多くの研究で証明されています。
ある研究をご紹介しましょう。
聞き手ではない方の手の小指を使って100回ボタンを押すという実験です。
ちなみに100回ボタンを押せればご褒美がもらえます。
一見すると簡単そうに思えますがなかなか難しく想像以上に苦痛な作業です。
ご褒美のために最後まで懸命に頑張る人もいれば途中で投げ出して止めてしまう人もいます。

当然脳の働きには違いが出てきます。
大きく分けると2つの部位で違いがはっきりと現れました。
1つ目は報酬系回路です。
“報酬系回路の脳科学”についてはこちらの記事をご参照ください。
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報酬系回路とは簡単に言ってしまえば脳が快楽を感じる部位です。
脳はどんなことをしていもとにかく快楽を求めます。
最後までタスクをまじめにやり切った人…つまり努力できた人は報酬系回路が活発に働いていました。
逆に途中で止めてしまった人…つまり努力できなかった人はあまり働いていませんでした。
2つ目は島皮質です。
”島皮質の脳科学“についてはこちらの記事をご参照ください。
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島皮質は損得勘定を計算して苦痛を感じたり同情したりするいわばブレーキ的な働きをする部位です。
島皮質は努力できなかった人で活発に働き努力できた人ではあまり働いていませんでした。

努力できた人は「このタスクをこなせばご褒美がもらえる」という報酬予測をすることで脳の中で多くの快楽を発生させていました。
つまり報酬が努力することの推進力になっていたのです。
一方で努力できなかった人は報酬予測の機能があまり働かないかわりに「努力しても意味がない」「努力しても無駄」といったブレーキがかかっていました。
何かを行うことで発生する報酬や成果を感じる脳の機能が高くかつ損得を冷静に計算する機能が低い人こそが「努力できる人」でその逆が「努力できない人」ということになります。
つまり努力できるかできないかは本人の頑張りというよりも脳のメカニズムによるところが大きいのです。
これがこの研究の結論です。
似たような研究はこれまでも数多く報告されています。
たとえばエリート音楽家と普通の音楽家では何が違うのかを調べた研究があります。
いろいろと調べた結果わかったことは両者の大きな違いは練習時間でした。
エリート音楽家は普通の音楽家よりもはるかに膨大な時間を練習に費やしていたのです。

と思うかもしれませんがちょっと深く考えてみてください。
エリート音楽家になるにはそもそも持って生まれた音楽の才能がありそれに加えて多大な努力が必要です。
ですから幼いころにちょっとでも音楽の才能の片鱗が見られればエリート音楽家を目指して練習するのはうなずけます。
しかし必ずしも誰もがエリート音楽家になれるわけではありません。
その後の練習時間の差でエリート音楽家になれるのか普通の音楽家で終わってしまうのかが分かれます。
そして練習をするための努力さえも持って生まれた才能によるところが大きいというわけです。
『気合や根性だけでは語りつくせいないような努力をすることができる』
『たとえ気合や根性が必要だったとしてもそれを存分に発揮して努力をすることができる』
これは持って生まれた「努力できる才能」です。
誰もがマネできることではありません。
「努力できる才能」とは多大な努力をそれほど苦痛と思わずにできる、そして努力をうまく快感に変換できる…そんな能力なのです。
ですから自分が努力できなくても何も悲観することはありません。
努力できないのは気合や根性がないからではなくそもそも脳のメカニズムが「努力できない人」になっているからなのです。
誰でも努力できるわけじゃないってことなのです。
いくら努力したって報われないものもある

「天才とは1パーセントのひらめきと99%の努力である」
一度は聞いたことがあるのではないでしょうか?
しかし多くの人がこの言葉の真の意味を誤解しています。
「天才と呼ばれる人は実は多大な努力をすることで天才になったにすぎず少しの才能さえあればあとは努力次第で誰でも天才になれる。」
そんな風に解釈していませんか?

エジソンが言いたかったことはそんなことではありません。
「99%努力しても1%のひらめきがなければ天才とは言えない」
これが本来の意味です。
しかし努力することを美化するあまり都合のいい解釈に変えられてしまったのでしょうね。

特に何かに成功した人たちの体験本や自己啓発本ではよく見かける言葉です。
確かにそうした言葉から勇気をもらったり前向きな気持ちになれたりする人もいるのは事実ですから決して悪いことではありません。
しかしそういった成功事例はあくまでもサンプルの1つであって絶対ではないことは知っておかなければなりません。
つまりまったく同じやり方をしてもやる人によってうまくいかない可能性なんていくらでもあるということです。
だからといって努力することにネガティブになっているわけではありません。
なんでもがむしゃらに努力をすればいいわけではなくせっかく努力するのであればそれが報われる可能性があることに時間と労力を費やすべきということです。
努力すればそれなりにリターンが期待できるものもあれば努力が無駄骨になりがちなものも少なくはありません。
そこをきちんと見極めておかなければ努力しても意味がなくなってしまいます。
では努力が報われやすいものにはどんなものがあるのでしょうか?
先ほども出てきた楽器の演奏がその1つです。
エリート音楽家になるには才能があろうとなかろうと努力は必要です。
練習すればするほどその努力は成果として表れます。
その他にも語学の習得、運動技能の習得、受験勉強、絵を描く技術などは努力が報われる可能性が充分にあります。
一方で努力しても報われにくいものにはどんなものがあるのでしょうか?
背の高さや顔のつくりは努力でどうこうできるものではありません。
運動技能においても足の速さ、跳躍力、肩の強さなどは努力で能力は高めることは難しいでしょう。
つまり身体的特徴に関しては遺伝的な要因が高いためほとんどのものが努力が報われにくいと言えます。
そのため人工的に背を高くしたり顔を整形したりするのです。
また運動技能に関しては薬物に頼ってしまい努力の矛先を誤ってしまうのでしょう。
おもしろいところでは性的指向に関しても努力が及ばないものとされています。
多くの研究結果では性的指向は生まれつき持って生まれたものと報告されています。
“性的指向の脳科学”についてはこちらの記事をご参照ください。
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自分の持っている性的指向に目覚めるための環境や機会が必要な場合もありますがそもそもその性的指向の因子を持っていなければいくら環境が整っても目覚めることはありません。
つまり努力で性的指向を変えることは不可能なのです。

いくら努力したって報われないものもあることを理解しておくことは効率的に生きていく上では大切なことなのです。
努力できないことは素晴らしい才能である
世の中なんでもかんでも努力で物事が改善できるわけではありません。
そもそも脳科学的に努力できない人だっていますし努力したって報われないことだってあります。
でもそんなに悲観的にばかりなる必要はありません。
世の中には努力できない人だからこそ逆にできる特殊な能力がちゃんと存在します。
努力できない人はきっと無意識のうちに日常的にこの能力を活用しているかもしれません。
では努力できない人のもつ特殊な能力とは一体どのようなものなのでしょう?
たとえばある有名な人の成功本に魅力的な成功へのノウハウが書かれていたとします。
努力できる人であればそれを見てすぐに実行に移すでしょう。
しかし世の中そう甘くはありません。
成功本通りに努力しても必ず報われると限りません。
ですから何年も実践し続けても努力が実らず無駄骨に終わることなど少なくはありません。
一方努力できない人が成功本を読んでも同じように努力することはできません。

そのように考えれば最初からそのノウハウを実行することはなく無駄な時間と労力を費やすことを回避することができます。
つまり努力できない人は無駄な努力をしない能力に恵まれているのです。

なんて言われてしまいそうですよね。

でも安心してください。
努力できない人の能力はこれだけではありません。
努力できない人は物事を効率的にこなす能力に恵まれています。
努力をしないで何とか楽をして報われようと考えるのです。
たとえば先ほどの成功本の続きでコツコツと積み上げていく作業が書かれていたとします。
努力できる人は本に書かれている通りに努力してコツコツと作業をこなしていきます。
一方で努力できない人はコツコツと努力などできません。
しかしなんとか成果を上げたいと考えるのであれば楽をして作業する方法を探すでしょう。
プログラミングの知識がある人であればコツコツとした作業をコンピューターにさせるようなプログラムを作ることを思いつくでしょう。
プログラムを作るためにはそれなりの時間と労力は要しますがコツコツと積み上げる作業をすることに比べれば楽ですしプログラムさえできてしまえばそのあとの作業はぐっと楽になります。
プログラミングの知識がなくても悲観することはありません。
プログラミングができなくても物事を効率化することはいくらでも可能ですし努力できない人は無意識的に楽をして効率を上げるための工夫を思いつくものです。
たとえばアルバイトを雇ってコツコツした作業をしてもらい結果の報告だけをしてもらうでもよいでしょう。
人によっては

なんて言われてしまうような工夫でもちゃんとしたルールの範囲内であればズルも効率化の有効な一手となります。
コツコツと作業をして成果を上げるに越したことはありません。
それができればだれも苦労はしないでしょう。
しかしそれがなかなかできないから誰もが四苦八苦して努力するのです。
努力できる人から見れば努力できない人はマイナスのイメージに映るでしょうしさらにズルをして成果を上げようとするのを目撃したとなればなおさらでしょう。
しかし努力できる人にはこのような努力できない人の特殊な能力をうまく使いこなすことはできません。
楽して効率的な効果を上げられるのであれば「努力しないことは素晴らしい才能である」とっても言い過ぎではないですよね。
面倒くさがることも素晴らしい才能である
努力できないことは素晴らしい才能です。
「無駄な努力をせずに楽をして効率的に成果を上げる」
努力できないことをちょっと美化しすぎかもしれませんがこれは間違いなく素晴らしい能力です。
ちょっと見方を変えると「無駄な努力をせずに楽をして…」の根本は「面倒くさい」と思う感情にあります。
しかしこの「面倒くさい」が実はとても大切なのです。
「面倒くさい」が無駄なことをやり続けないタイマーの役割を果たしていて時にはより効率の良い方法を編み出してくれているからです。
言うならば「努力しない努力」ですがこれが上手くはまると時に普通のひとではとても及ばないような素晴らしい才能を生み出すこともあります。
そもそも多くの発明は「面倒くさい」から発生していることがとても多いのです。
天才プログラマーと呼ばれる人の多くは自力でコツコツと作業をするのが嫌だから何とか楽をする方法を常に考えています。
便利な商品の多くは面倒くさいことを少しでも楽して効率を上げるために編み出されてきました。
このように世の中には努力できなくて面倒くさがる人だからこそたどり着ける境地というものが数多く存在しています。
だから努力できないことに決して劣等感を抱く必要などないのです。
努力できる才能に恵まれた人は本当に素晴らしいです。
それは誰に聞いても間違いのない事実でしょう。
だからこそ努力が報われた時には賞賛されますしたとえ努力が報われなかったとしても努力したという事実がヒトを成長させるのです。
ただ努力することだけが人間の知能ではありません。
努力できないの脳科学-その2
たとえ努力できなくても努力家の人にはない素晴らしい才能で思いも至らないような発想を生み出すこともまた間違いなく知性です。
世の中で成功している人の中には努力できない人もたくさんいますしそのような人たちはまさに知性の塊です。
「努力できる人」「努力できない人」どちらが優れているかなど議論しても意味はありません。
どちらもそれぞれに優れている面を持っています。
だから努力できないことも間違いなく1つの才能と言えるのです。

“努力できない”の脳科学のまとめ
努力できないことの意味を脳科学で説き明かしてみました。
今回のまとめ
- 人が努力できるかどうかは生まれつきの才能でほぼ決まっています。
- 努力してもできないこと報われないことはあるのでその見極めは重要です。
- 努力できることは素晴らしい才能ですが努力できないことも素晴らしい才能です。
- 努力できないからこそ逆にできる能力があることを理解しましょう。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
今後も長年勤めてきた脳神経外科医の視点からあなたのまわりのありふれた日常を脳科学で探り皆さんに情報を提供していきます。
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