他人を思う気持ちの「共感」と「同情」ってどう違うの?
そのような疑問に脳神経外科専門医であるへなおがお答えします。
このブログでは脳神経外科医として20年以上多くの脳の病気と向き合い勤務医として働いてきた視点から、日常の様々なことを脳科学で解き明かし解説していきます。
基本的な知識についてはネット検索すれば数多く見つかると思いますので、ここでは自分の実際の経験をもとになるべく簡単な言葉で説明していきます。
この記事を読んでわかることはコレ!
- 似て非なる「共感」と「同情」の脳科学的な違いがわかります。
似て非なる「共感」と「同情」
似て非なる「共感」と「同情」の脳科学
- 「共感」も「同情」も相手の感情を理解する点では同じです。
- 「共感」は共に感じ共に苦しむ心理、「同情」は「共感」しつつもあわれむ心理で似て非なる感情です。
- 「共感」と「同情」の出発地点は脳の中では同じ場所でありもともとは同じ感情です。
- しかしどのようにして「共感」と「同情」という似て非なる2つの感情にわかれてしまったのかは現代の脳科学ではいまだ謎です。
- この謎が解明されれば脳が自分勝手に「共感」や「同情」を好んだり嫌う理由もきっと解き明かされるでしょう。
「共感」と「同情」は共に相手の苦しみやつらい感情を理解する感情です。
しかし自分にどのように影響するかで2つの感情には違いがあります。
共感と同情の脳科学-その1
共感とは相手が苦しんでいる感情を自分のことのように感じ共に苦しむことです。
一方同情とは共に苦しみつつも共感を一歩先んじた感情で「お気の毒に」「かわいそうに」とあわれに思う心の動きです。
共感は相手と同じ立場になって共鳴するので好印象を持たれがちです。
しかし同情はあくまでも他人の視点から相手の心情を察するという一見すると突き放したような悪印象を持たれがちです。
自分でなくてよかった…
お気の毒に…
かいわいそうに…
そんな心理が同情にはつきまといます。
あるTVドラマで一時期話題になった
「同情するなら金をくれ!」
という名セリフがありますよね。
同情ですとなんだかしっくりきますがこれが
「共感するなら金をくれ!」
だとどうでしょう?
なんだか違和感しかありませんよね。
しかし同情は脳科学的には決して不適切な感情ではありません。
今回は似て非なる共感と同情を脳科学の視点から探っていきます。
「みんなわかってくれない」から始まる「共感」と「同情」
はじめにある研究をご紹介しましょう。
質問1 あなたは自分がどれほど人見知りであるかをどのくらい正しく理解していますか?
質問2 あなたの友人はあなたがどれほど人見知りであるかをどのくらい正しく理解してくれていますか?
質問3 その友人は自身がどれほど人見知りであるかをどのくらい正しく理解していますか?
質問4 あなたは友人がどれほど人見知りであるかをどのくらい正しく理解していますか。
このような質問をして自分と友人がそれぞれをどれほど人見知りであることを正しく理解しているかを採点してもらいます。
次の2つの点数を比較すると高得点であったのはどちらでしょう?
① 友人が自分のことを理解してくれる度合い(質問2の点数)
② 自分が友人のことを理解してあげる度合い(質問4の点数)
点数を比較するとなんと②の方が①よりも10%も高い結果でした。
さらには「質問1」の自分が自分自身を理解している程度は「質問3」の友人が当人自信を理解している程度よりも10%高い点数でした。
共感と同情の脳科学-その2
自分のことを一番理解しているのは自分である。
そして自分は他人のことを理解しているのに誰も自分のことを理解できないと思い込んでいる。
これを「非対称な洞察の錯覚」と言います。
自分で自分のことを評価する時たいてい他人には見せない自分の内面しか見ていません。
他人に見せている姿は仮の姿で自分らしい本当の自分は誰にも見せていない内面の姿です。
ですから他人は自分の本当の姿を知らないのですから当然誰にもわかってもらえないと思うのです。
しかし他人に対しては外面的な姿を見ただけでその人のことを理解したつもりになります。
当然他人も本来の内面的な本当の姿は見せていないはずなのにです。
共感と同情の脳科学-その3
脳には自分が知らないもの見えないものの能力を過小評価するクセがあります。
ですから自分に対する他人の評価であったり他人自身の自己評価であったりを過小評価してしまうのです。
そしてこの「非対称な洞察の錯覚」がエスカレートすると
「周囲は自分のことを理解してくれないが自分は周囲をよく理解している」
とさらなる錯覚を引き起こすのです。
ですから他人の外見や表面的な姿だけを見てその人を理解したつもりになるのではなくその人の本当の姿や内面的な感情などの見えていない姿を少しでも理解して謙虚に歩み寄ろうとする姿勢こそが大切なのです。
そんな考えからは共感も同情も生まれません。
共感と同情の脳科学-その4
「みんなわかってくれない」と思うのであれば「自分だけは相手のことを理解して相手に同じようなつらい思いをさせないようにする」ことから共感や同情が生まれるのです。
「共感」や「同情」を拒む脳の悪いクセ
誰にでも湧きおこる「誰も自分のことをわかってくれない」という心理を打ち破って相手に対して「共感」と「同情」の気持ちを生み出すことの大切さを説明しました。
しかし頭では理解しているつもりでもなかなか「共感」したり「同情」したりできないことも多々あります。
「共感」したり「同情」したりするにはとりあえず相手のことをよく知って理解してあげる必要があります。
それが表面上だけの理解であってもとにかく理解してあげることが必要です。
しかしその「知る」という行動が脳にとって問題なのです。
脳にとって「知る」とはただ知識を身につけることだけでなく「知る」ことによって世界を歪曲化することにつながります。
つまり知識は脳の判断をゆがめるのです。
共感と同情の脳科学-その5
脳は一度知ってしまうと知らない人の立場で物事を考えられなくなります。
その結果自分が知っていることは相手も知っていると期待します。
逆に自分が知っていることを相手が知らないと悪とみなします。
これを「知識の呪縛」と言います。
そんな状況におちいりがちです。
どんな些細なことでもまだそれを知らない初心者にとっては難しいにきまっています。
しかし心理的にわかっていても脳はそうは感じないのです。
そんな感情が湧き上がって来て「共感」や「同情」を阻むのです。
「誰も自分のことをわかってくれない」と感じているのは自分だけではなく相手も同じです。
自分には「共感」や「同情」をして欲しいと願う一方で他人には「共感」や「同情」をしたがらないのです。
「共感」と「同情」は脳科学的に紙一重
ある良家のお嬢様がいます。
彼女には結婚を誓った恋人がいます。
しかし父親から由緒正しい家柄の男性との結婚話を迫られています。
父親には歯向かえない彼女はしぶしぶ政略結婚を承諾してしまいます。
しかし恋人への愛は強く愛し合う2人は駆け落ちすることを計画します。
娘と父親とどちらを応援する人が多いでしょうか?
① 娘…駆け落ちしてたとえ貧しい生活を強いられたとしても愛する恋人と頑張って欲しい。
② 父親…娘に政略結婚をさせることで長年続く家の伝統と栄光を娘に守って欲しい。
がんばる人は他人から好かれます。
この状況では娘も父親もどちらもがんばっています。
ですから同等に評価されるべきです。
しかしわたしたちの脳は弱い立場の人に「共感」し「同情」する傾向があります。
この傾向は弱者当人にとっても同じです。
弱者は自分の権限では現状を打破することができません。
父親にどうどうと逆らって恋人と結婚はできません。
自分ではどうにもできない無力感は絶望感へとつながっていきます。
そんな絶望の淵に立たされると脳は価値観を反転させて生き延びようとします。
無力感を肯定するようになるのです。
そして自分の陥っている状況を正当化しようとします。
父親を悪の元凶とみなすことで自分の道徳こそが善良であると認識するのです。
弱者が強者を「悪」とみなし自分達弱者を「善」とみなす屈折した心理傾向を哲学者であるニーチェは「ルサンチマン」と呼びました。
「ルサンチマン」はとても奥深い発想なのでまた改めて脳科学で探っていきます。
今回は娘に応援する心理は「共感」と「同情」どちらからくるものかを考えます。
苦境に立たされた他人に対して「共感」あるいは「同情」を感じている脳を調べた研究があります。
「共感」あるいは「同情」を感じている脳では「前部帯状皮質」という部分がとても活発に活動しています。
前部帯状皮質は脳科学的に「痛み」に関与する脳領域として知られています。
つまり脳は自分の痛みを感じるために存在している脳回路を他人の痛みを理解する時にも活用しているのです。
他人の苦痛を自分の心の出来事として追体験しているというわけです。
実際に前部帯状皮質を電気刺激すると痛くつらい状況が思い浮かびます。
しかし思い浮かんだ状況はそれだけではありませんでした。
この痛くつらい状況をなんとかして克服したい…
もう少し頑張ればこの状況を切り抜けられるからなんとか頑張ろう!
そんな強靭な意思が同時に芽生えるのです。
共感と同情の脳科学-その6
他人の痛みを追体験して自分の痛みのように感じとる心理は「共感」です。
一方で痛くつらい状況はつらいけどなんとか克服して乗り越えて欲しいと感じる心理は「同情」です。
つまり前部帯状皮質を中心とした脳回路は「共感」も「同情」も生み出しているのです。
「共感」も「同情」も脳の中では「痛くつらい状況からなんとか助けてあげたい」という利他の感情から始まっています。
「共感」と「同情」の出発地点は脳の中では同じ場所なのです。
ではどうしてスタートは同じなのに最終地点では似て非なる2つの感情に分かれてしまうのでしょうか?
ただ「共感」と「同情」は切っても切り離せない関係であることは確かなようです。
「共感」や「同情」を嫌ったり自分だけは「共感」や「同情」をして欲しいと願ったり「同情」だけを悪者扱いしたりと脳はほんと自分勝手です。
しかし脳は意味のない自分勝手な活動は決してしないはずです。
今後さらに脳科学が進歩して「共感」と「同情」が解明されることに期待しましょう。
“似て非なる「共感」と「同情」の脳科学“のまとめ
「共感」と「同情」を脳科学で説き明かしてみました。
今回のまとめ
- 「共感」も「同情」も相手の感情を理解する点では同じです。
- 「共感」は共に感じ共に苦しむ心理、「同情」は「共感」しつつもあわれむ心理で似て非なる感情です。
- 脳は自分自身を一番の理解者とし他人は自分のことを理解できないという非対称な洞察の錯覚に縛られています。
- 非対称な洞察の錯覚を打ち破り相手のことを自分のことのように理解してはじめて「共感」や「同情」が生まれます。
- 脳は自分勝手であり自分には「共感」や「同情」をして欲しいと願う一方で他人には「共感」や「同情」をしたがりません。
- 「共感」と「同情」の出発地点は脳の中では同じ場所でありもともとは同じ感情です。
- しかしどのようにして「共感」と「同情」という似て非なる2つの感情にわかれてしまったのかは現代の脳科学ではいまだ謎です。
- この謎が解明されれば脳が自分勝手に「共感」や「同情」を好んだり嫌う理由もきっと解き明かされるでしょう。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
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