世の中のすべてのことに責任感を持っていないといけないのでしょうか?
そのような疑問に脳神経外科専門医であるへなおがお答えします。
このブログでは脳神経外科医として20年以上多くの脳の病気と向き合い勤務医として働いてきた視点から、日常の様々なことを脳科学で解き明かし解説していきます。
基本的な知識についてはネット検索すれば数多く見つかると思いますので、ここでは自分の実際の経験をもとになるべく簡単な言葉で説明していきます。
この記事を読んでわかることはコレ!
- 責任感がないことは悪いことなのかを探るために「無責任」の意味をわかりやすく脳科学で説き明かします。
責任感がないことは悪いことなのか?
「無責任」の脳科学
- 自分のことのみならず、世界の難題にまで責任感を果たそうとする必要はありません。
- 世界の難題と自分なりに向き合う方法を身につけて、無責任で生きても悪いことはありません。
- 責任感を果たそうと、無責任でいようと、世界は何も変わらず、それに左右されるのは自分自身だけです。
- 自信を持って無責任で生きていきましょう。
「責任感が強い」人は、仕事や決意したことをやり抜く人。
「責任感がない」人は、自分の仕事や決めたことに対して、きちんと取り組まない人。
確かにこの考え方は間違いではないでしょう。
「責任感」と「無責任」の意味を調べると次のように書かれています。
責任感
無責任
たとえば、世界中ではいまだ紛争が起きていて、病院や人道支援車両にまで銃口が向けられています。
密入国を斡旋(あっせん)する業者は、大人のみならず子どもも密入国させて奴隷のような扱いをしています。
アフリカでは数百万人もの人が飢餓で苦しんでいます。
さまざまなウイルス感染症は世界のいたるところで多くの人の命を奪っています。
世の中では今この瞬間にもさまざまなことが起きています。
あまり感情移入しないタイプの人でも、世の中で起きているさまざまなことを見聞きすると、きっと“憤(いきどお)り”を感じるでしょう。
しかしその憤りをどうすればよいのか、具体的な方策を持っている人はほとんどいないでしょう。
助けを求めている人は世界中にたくさんいます。
しかし飢餓で苦しんでいる人に少しでも食料を届けてあげたいと願っても、次の瞬間にはわたしたちの脳の中は日常の細々したことでいっぱいになってしまいます。
仕事で明日までに提出しなければならない書類が終わっていないとか、いい加減洗濯をしないと明日着る服がないとか、トイレットペーパーが残り少なくて買い物に行かないといけないとか…そんなことに気をとられて、脳の中の憤りとちゃんと向き合うことはほとんどないはずです。
それでもこの世界の不平等について考えると気が重くなります。
自分の脳の中が整理された時だけ、世の中で起きている大変なことに“憤り”を感じて、その次の瞬間にはもう忘れてしまっている…これは無責任なのでしょうか?
自分の仕事や決めたことに対してのみならず、世の中すべてのことに責任感を感じて生きなければ無責任なのでしょうか?
世界の難題とどのように向き合えば無責任にならないのか?
先ほど記したような世の中の出来事にただ“憤り”を感じているだけでは、無責任と思われてしまうでしょう。
しかしすべてのことにちゃんと向き合って責任感を持ってきちんと取り組むことは不可能でしょう。
ではいったいわたしたちは世界の難題とどのように向き合っていけばよいのでしょう?
精神的なバランスを失わずに、世界の難題と向き合っていくためには、個人的な戦略が必要です。
個人にできることには限界がある
世界の難題に無責任にならず向き合う方法でもっとも大切なことは、「個人にできることには限界がある」ことを自覚することです。
たとえば、あなたが戦争を終結させる最良の方法を見つけたとしても、それを実行することはほぼ不可能でしょう。
たとえ実行できる立場にいたとしても、もしかしたらあなた以外にもさらに専門的に研究している人たちが、あなたの見つけた方法をそれなりの理由ですでに却下しているかもしれません。
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あなたひとりの力で世界の難題を解決できるなどという過信をしないことです。
またそれを他人にも強要しないことです。
アメリカ大統領ですら、自分の能力を過信し判断を誤り、頻繁に痛い目にあっています。
問題は人々の共感力の欠如でも、軍事力の欠如でも、知能の欠如でもありません。
責任感を果たしたいのなら寄付をしよう
世界の難題に無責任にならず向き合う方法の2つ目は、世の中の苦境を少しでも救いたいという思いがあるのであれば「寄付」をすることです。
寄付をするのは当然お金であって時間ではありません。
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あなたが救急医や、爆弾処理の専門家や、外交官であれば難題の起きている現場に出向いて責任を果たすことができるでしょう。
ボランティアでの参加が有意義だと考えている人は世の中たくさんいます。
しかし実際にボランティア活動にはあまり生産性は期待できません。
しかも素人に責任を押しつけることはできないでしょう。
あなたの時間をもっとも効率的に、そして生産的に使えるのは、あなたがその分野で“ホンモノ”である時だけです。
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たとえばあなたがボランティアで砂漠の地域に行き、給水用のポンプを設置したとしましょう。
その作業は、地元のポンプ職人であればわずかな賃金でできる程度の労働でしかありません。
しかもあなたがポンプを設置してしまうと、彼らの仕事が減ってしまいます。
あなたがボランティア活動で設置できるポンプはたかだか1日に1か所程度です。
それであれば、あなたは自分本来の仕事をこなしてお金を稼ぎ、そのお金を地元のポンプ職人への支払いにあてれば、きっと1日に何十か所ものポンプが設置できるはずです。
もちろんあなたの時間をボランティア活動に提供すれば、あなたは責任を果たしたという充実感を得られるでしょう。
しかしそんなことはどうでもよいことです。
大切なことはあなたがどう感じるかではありません。
熱心な慈善活動が有意義だと思い込むのは、わたしたちがおちいりがちな思考の落とし穴です。
その分野の“ホンモノ”=スペシャリストはあなたの寄付したお金をあなた以上に有効に使ってくれます。
ニュースダイエットのすすめ
世界の難題に無責任にならず向き合う方法の3つ目は、見聞きするニュースの量を思い切って制限することです。
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特に人道的な問題に関するニュースには注意が必要です。
胸をえぐられるような、脳に衝撃を与えるような映像を見て、テレビの前で犠牲者への哀れみにどっぷり浸(ひた)ったところで、責任を果たしたことにはなりません。
犠牲者のためにもあなたのためにもならないですし、世界で起きている惨事に“興味を持つ”のはただののぞき見趣味にすぎません。
世界の難題についての情報を“積極的に入手する”のは人道的な行為のように感じられるかもしれませんが、実際にはそうではありません。
世界の難題について本当に理解したければ、時間はかかるかもしれませんが、多くの専門書をひたすら読んで勉強することです。
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情報ばかりを入手したところで、あなたにできることなど何もありません。
災いは時も場所も選びません。
この世からなくなることもありません。
無責任は決して悪いことではない
世界の難題に無責任にならず向き合う方法の最後は、世の中のすべてのことに責任感を持つ必要はないということを理解することです。
世界で起きている難題は、そのほとんどはあなたに関係ありませんし、あなたの責任でもありません。
アフリカに学校や病院を建てる代わりに、自分の仕事に集中したとしても罪悪感を抱く必要などありません。
紛争の犠牲になった人たちよりも、あなたの方が恵まれている生活をしているからといって、罪の意識を感じる必要などありません。
「社会に対して無責任でいること」は決して悪いことではないのです。
もしかしたら、あなたと彼らの立場はまったく逆になっていたかもしれません。
あなたが自分の今の環境に自分なりの責任を果たし、きちんと生産性のある生活をしていれば、あなたは決して人でなしということにはなりません。
自信を持って無責任で生きよう
責任感の強い人は正義感も強く、自分の責任に加えて、他者への責任さらには世界の難題にまで責任を感じてしまいます。
しかし責任感が強すぎると、責任の追及が厳しくなり、それについていけなく困る人、厄介に思う人がたくさんでてきます。
日々の生活や仕事には多かれ少なかれ嘘や責任逃れが必要な場面が必ずあります。
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ですから時には無責任である方が重宝がられ、出世しやすくなるのです。
世界で起きている惨事にまで責任を果たす必要はないですし、それに対処するための思考の方法をちゃんと身につけていればそれでよいのです。
大事なことは、自分なりに責任を果たすべきこと、無責任でいいことを見極めて、自分なりの責任感の処理の方法を確立しておくことです。
そうでなければ、あなた自身の人生を生きるのがつらくなってしまいます。
さまざまなことすべてに責任を感じ、心を痛め、そのたびに「ああすればよかった」であったり「こうすればよかった」であったりと考えていたら、罪悪感で自分がつぶれてしまいます。
あなたが責任を感じようと、無責任でいようと、現実に起きている世界には何も変化はありません。
責任感があるのか、無責任であるかは結局あなたにしか影響しないのです。
“「無責任」の脳科学”のまとめ
責任感がないことは悪いことなのかを探るために「無責任」の意味をわかりやすく脳科学で説き明かしてみました。
今回のまとめ
- 自分のことのみならず、世界の難題にまで責任感を果たそうとする必要はありません。
- 世界の難題と自分なりに向き合う方法を身につけて、無責任で生きても悪いことはありません。
- 責任感を果たそうと、無責任でいようと、世界は何も変わらず、それに左右されるのは自分自身だけです。
- 自信を持って無責任で生きていきましょう。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
今後も長年勤めてきた脳神経外科医の視点からあなたのまわりのありふれた日常を脳科学で探り皆さんに情報を提供していきます。
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