他人の評価ばかりを気にして、他人に認められようとするのはなぜなのでしょう?
そのような疑問に脳神経外科専門医であるへなおがお答えします。
このブログでは脳神経外科医として20年以上多くの脳の病気と向き合い勤務医として働いてきた視点から、日常の様々なことを脳科学で解き明かし解説していきます。
基本的な知識についてはネット検索すれば数多く見つかると思いますので、ここでは自分の実際の経験をもとになるべく簡単な言葉で説明していきます。
この記事を読んでわかることはコレ!
- 他人に認められたがる「承認欲求」の意味をわかりやすく脳科学で説き明かします。
他人に認められたがる「承認欲求」
「承認欲求」の脳科学
- 「承認欲求」とは世間の人たちに認められたい、褒められたいという脳の本能的な欲求です。
- 自分の内側にある自分自身の基準によってものごとを評価することで「承認欲求」を放棄することは可能です。
- 多くの偉人たちは自分の偉業の評判を気にすることなく、「承認欲求」を放棄しても輝いて生きています。
- 現代社会は「承認欲求」を過剰に意識しすぎて、生きづらい世界です。
- みなさんも偉人たちを見習って、意識して「承認欲求」を放棄して、自分自身を見つめなおしてみてください。
承認欲求
「実は誰よりも頭がいいのに、他人からは誰よりも頭が悪いと思われている」
「実は誰よりも頭が悪いのに、他人からは誰よりも頭がいいと思われている」
ほとんどの人は後者を選ぶでしょう。
「承認欲求」とは、簡単に言えば、“相手に認められたい、褒められたいという欲求”です。
つまり行動や言動の源泉が“、相手に認められるかどうか”になっている状態と言えるでしょう。
実際に頭が“いい”か“悪い”かが問題なのではなく、他人があなたのことを頭が“いい”と思うのか、“悪い”と思うのかが重要なのです。
承認欲求は自己顕示欲の1つです。
自己顕示欲とは“自分を目立たせることで、自分以外のまわりの人から注目されたり、褒められたりしたいという欲求”のことです。
アメリカの心理学者であるアブラハム・マズローは「マズローの欲求5段階説」として人間の基本的な欲求を考案しましたが、承認欲求はその第4段階に当たります。
“マズローの欲求5段階説の脳科学”についてはこちらの記事もご参照ください。
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「承認欲求」を放棄した人たち
「承認欲求」は脳の本能であり、誰の脳にも備わっている欲求です。
ですから承認欲求に抗(あらが)って生きることはある意味とても難しいものです。
しかし世の中にはいとも簡単に承認欲求を放棄して生きている人たちもいます。
大谷翔平選手
2021年アメリカのメジャーリーグで投打の二刀流で大活躍した大谷翔平選手に国民栄誉賞授与の打診がありました。
しかしこれに対して大谷選手は「まだ早いので今回は辞退させていただきたい」と答えました。
この辞退の裏には「さらなる高みに向けて精進に集中するという強い気持ち」が秘められているそうですが、なんともすごい決断です。
大谷翔平選手は3度も国民栄誉賞の打診を辞退したイチロー選手を見習っているのでは…といった声もあります。
しかし大谷翔平選手は2021年のシーズンを振り返って次のように語っています。
「来季はもっともっと高いレベルで数字が残せる」
このような発言を聞くと「まだ早い」という感覚は本人にとっては当然なのかもしれません。
ボブ・ディラン
ボブ・ディランは2016年にノーベル文学賞を受賞したアメリカの音楽家です。
ボブ・ディランは受賞が決まっても、何週間も沈黙したままで、インタビューにも応じず、スウェーデンでの授賞式にも姿を見せませんでした。
それに対して世間は多くの非難をぶつけました。
「傲慢(ごうまん)きわまりない…」
「感謝ってものを知らない…」
「ノーベル賞をバカにしている…」
最終的にはコメントを出して、授賞式の5か月後にようやくメダルと賞金を受け取りました。
彼の最初のコメントは
「この度のノーベル文学賞の受賞にあたり、自分の歌が一体どう文学と結びつくのか不思議でならなかった」
このように語り、そしてその後長いコメントを残しています。
いずれにしてもノーベル賞という誰もが欲しくてたまらない賞に、まったく興味を示さない彼の態度は、まさに承認欲求を放棄したと言えるでしょう。
そして彼の音楽家としての偉大さがますます強調された出来事とも言えるでしょう。
グリゴリ・ペレルマン
グリゴリ・ペレルマンは著名なロシア人の1人で、現在生きている中で世界最高峰の数学者と言われています。
1度目は、数世紀にわたり証明されなかった未解決の難問を解決してみせた時のことです。
その難問には100万ドルの懸賞金がかけられていました。
しかし彼はその賞金の受け取りを辞退したのです。
決して裕福な生活をしていたわけではないので、お金は必要だったはずです。
2度目は、難問を解決した功績が評価され、数学界のノーベル賞と言われるフィールド賞の打診があったのですが、彼は受賞を辞退したのです。
この時は、2日間で合計10時間にわたって受賞するように説得が行われましたが、彼は決して首をたてには振りませんでした。
そして彼は次のように語っています。
「賞や賞金は私にはまったく関係ないものです。証明が正しいと誰もが理解すれば、その他の認識は不要です。」
彼は16歳の時に、国際数学オリンピックに当時の最年少で出場し、なんと全問満点で金メダルを獲得しています。
彼にとって重要なのは数学だけなのです。
世の中が彼をどう思おうが、彼の成果をどう評価しようが、本人にとってはまったくどうでもいいことなのです。
しかし世界は彼を世界一偉大な数学者と評価している事実に変わりはありません。
なぜ「承認欲求」を放棄できるのか?
ですから避けて通ることはできないはずです。
しかし先ほどご紹介した偉人たちのように承認欲求を放棄できる人もいます。
では承認欲求できる人とできない人の違いはどこにあるのでしょう?
SNSが当たり前となった現代において、さまざまな場面で文章を書く機会が増えました。
Twitter、Facebook、Instagram…いずれも何らかの文章が必要です。
そして自分の投稿に対しては、投稿を見た人たちの感想、意見が気になって仕方なくなります。
好意的な評価を見れば喜び、批判されると気分は害されます。
結局は世間の人たちの褒め言葉こそが、自分の投稿の出来の目安になるわけです。
“いいね”をたくさんもらい、多くのリツイートこそがすべてです。
しかし中には大谷翔平選手やボブ・ディランやグリゴリ・ペレルマンのように“悟りの境地”を切り開いている人もいます。
世間の評価ばかりを気にしていても、自分自身が変わるわけではない。
世間の評価をいちいち気にして、それに対して反応したところで自分の投稿の質が上がるわけでも下がるわけでもありません。
承認欲求における“悟りの境地”とは自分自身が勝手に作り上げていた“他人の評価”という監獄から自由になることでしょう。
「実は誰よりも頭がいいのに、他人からは誰よりも頭が悪いと思われている」
「実は誰よりも頭が悪いのに、他人からは誰よりも頭がいいと思われている」
この質問を考える時に重要になってくるのが、「内のスコアカード」と「外のスコアカード」です。
わかりやすく言えば、
「内のスコアカード」=自分の内側にある自分自身の基準
「外のスコアカード」=世間の人たちの基準
ということです。
多くの人は「外のスコアカード」がすべての基準になっています。
ですから承認欲求をして世間の人たちに認めてもらうことで自己評価が上がるのです。
一方で承認欲求を放棄した“悟りの境地”を開いている人たちは「内のスコアカード」がすべての基準になっています。
そのような人は自分自身で納得できれば世間の人たちの意見など関係ありません。
「承認欲求」を放棄した方がいい理由
その本能は人類の初期の段階である狩猟採集時代に築き上げられました。
“人類史の脳科学”についてはこちらの記事もご参照ください。
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わたしたちの祖先の生死は世間の人たちからどう思われるかにかかっていました。
好印象を持たれれば周りの人たちから助けてもらえますが、嫌われれば集団からつまはじきにされてしまいます。
食べるものがない時に世間の人たちからよく思われている人は食料を分けてもらえます。
しかし世間の人たちからよく思われていない人は食料を分けてもらえず息絶えてしまいます。
ですから外のスコアカードが何よりも大切であり、内のスコアカードを重要視する祖先の遺伝子は滅びてしまったのです。
やがて町や村が形成され始めると、誰もが知り合いであるといった共同体はなくなり、ますます世間の人たちからの“評判”が気になるようになります。
そして直接顔を合わせることなく、人々の“評判”を知るためのうわさ話が幅を利かせるようになっていきます。
“フェイクニュースの脳科学”についてはこちらの記事もご参照ください。
参考フェイクニュースを見極め見分けられずなぜだまされるのか?「スリーパー効果」を脳科学で探る
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みなさんも友人との会話を思い返してみてください。
きっと会話の90%以上はうわさ話でしょう。
現代社会においてわたしたちがこれほどまでに“自分が他人からどう思われているか”を気にするのは人類の進化の歴史にその理由があるわけです。
だからこそ「承認欲求」は脳に深く根ざした本能であり、それに歯向かうことはできないのです。
しかし現代社会では「承認欲求」が過剰になりすぎて暴走している状態です。
現実的には「世間の人たちがあなたをどう思うか?」はあなたが思っているよりも、はるかにどうでもいいことです。
自分の面目や評判や名声に傷がつくことを恐れるあまり、“承認欲求のスイッチ”が必要以上に強くセットされすぎていると言ってもいいでしょう。
現代社会における“承認欲求のスイッチ”は狩猟採集時代なみに高い値で設定されています。
まさに生死を分けるくらいの過剰な状態となっているのです。
世間の人たちがあなたを褒めちぎろうが、反対に中傷しようが、そのことがあなたの人生に与える影響はあなたが思っているよりもはるかに小さいものです。
あなたのプライドや羞恥心(しゅうちしん)が大げさに反応しすぎているだけなのです。
ですから他人の評価から自由になって、「承認欲求」を放棄した方がいいのです。
1つ目の理由は、「承認欲求」という感情のジェットコースターに乗っている時間ははなはだ無駄であり、どんなにがんばっても他人からの評判は操作できないことです。
2つ目の理由は、面目や評判を気にしすぎると、自分が本当は何に幸せを感じているのかがわからなくなってしまうことです。
3つ目の理由は、ストレスを感じていてはいい人生とは言えないことです。
「年をとれば、その人にふさわしい評判がおのずとついて回る」
ジャンニ・アニェッリ フィアット社元会長
世間の人たちにはその都度好きなことを言いたいように言わせておけばいいのです。
「承認欲求」よ、さようなら
現代社会においては、特に意識して“「内のスコアカード」=自分の内側にある自分自身の基準”をしっかり持っておく方が得策です。
SNSの影響力は絶大です。
ですから多くの人はSNSで自分のイメージを演出するブランドマネージャーのようになっています。
誰もがSNSでは元気で楽し気な外向きの自分を作り上げて自己満足しています。
しかしSNSに振り回されていると、いつしか「アプルーバル・シーキング・マシン」(他者からの承認を求める機械)になってしまいます。
SNSには“いいね”や“リツイート”や“フォローワー数”など、自分のランクを即座に数値化できるシステムが網の目のように張り巡らされています。
しかしどれも実態のない、名ばかりのランクばかりです。
いったんこの網にとらえられてしまうと、もう自分の意思で自由に発言したり行動したりできる、よい人生を送ることは難しくなってしまいます。
世間の人たちは好き勝手にあなたについてうわさ話をしたり、書き込みをしたりしてきます。
あなたを極端に褒め上げたり、ひどい厄介ごとに巻き込んだりもします。
どれもあなたにはまったくコントロールできないことばかりです。
しかしそもそもそのようなことはコントロールする必要などないのです。
あなたが有名人でSNSの影響が非常に強い仕事をしているのなら話は別です。
しかしそうでなければ自分の評判なんて気にする必要などないのです。
そんなことよりも自分で何かを成し遂げたり、胸を張れるような生き方をしたりすることに力を入れる方が、よほど大切なはずです。
世間の人たちからの褒め言葉や非難を無視することは心理的になかなか難しいものです。
とはいえそこに執着するのではなく、なるべく受け流して、偉人たちを見習って「承認欲求」を放棄してみてください。
一番大事なことは、あなた自身がどう自分を評価して判断するかなのです。
“「承認欲求」の脳科学”のまとめ
他人に認められたがる「承認欲求」の意味をわかりやすく脳科学で説き明かしてみました。
今回のまとめ
- 「承認欲求」とは世間の人たちに認められたい、褒められたいという脳の本能的な欲求です。
- 自分の内側にある自分自身の基準によってものごとを評価することで「承認欲求」を放棄することは可能です。
- 多くの偉人たちは自分の偉業の評判を気にすることなく、「承認欲求」を放棄しても輝いて生きています。
- 現代社会は「承認欲求」を過剰に意識しすぎて、生きづらい世界です。
- みなさんも偉人たちを見習って、意識して「承認欲求」を放棄して、自分自身を見つめなおしてみてください。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
今後も長年勤めてきた脳神経外科医の視点からあなたのまわりのありふれた日常を脳科学で探り皆さんに情報を提供していきます。
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