なぜ個人だと頑張れるのにチームだと怠けるのでしょう?
そのような疑問に脳神経外科専門医であるへなおがお答えします。
このブログでは脳神経外科医として20年以上多くの脳の病気と向き合い勤務医として働いてきた視点から、日常の様々なことを脳科学で解き明かし解説していきます。
基本的な知識についてはネット検索すれば数多く見つかると思いますので、ここでは自分の実際の経験をもとになるべく簡単な言葉で説明していきます。
この記事を読んでわかることはコレ!
- 集団だと手を抜きたがる「社会的手抜き」をわかりやすく脳科学で説き明かします。
綱引きから学ぶ「社会的手抜き」
「社会的手抜き」の脳科学
- 集団になると個人の努力に劣化現象が起きることを「社会的手抜き」と呼びます。
- 「自分ひとりぐらい手を抜いても影響ないだろう」「きっと誰かがしてくれるだろう」という発想こそが社会的手抜きです。
- 社会的手抜きでは責任感も手抜きになるので「誰かが責任をとってくれるだろう」という発想から危険な決断を下しがちになります。
- 社会的手抜きを取り除くには集団においても個人の実力や能力に頼ることが有効です。
- 社会的手抜きの反対の発想…「他の人もがんばっているから自分もがんばろう」という社会的促進を取り入れて自分を変えてみてください。
聞いたことがなくても実際にしたことがある人はたくさんいるはずです。
社会的手抜き
「社会的手抜き(Social loafing)」とは単独で作業するよりも集団で作業した時の方がひとり当たりの生産性や貢献度が低下するという現象です。
もっとわかりやすく言えば、集団の中で「自分ひとりぐらい全力を出さずに手を抜いても影響ないだろうし大丈夫だろう…」という考えこそがまさに「社会的手抜き」と呼ばれるものです。
社会的手抜きを最初に詳しく調べたのはフランスの工学者であるマクシミリアン・リンゲルマン氏です。
ですから社会的手抜きの現象を彼の名前をとって「リンゲルマン効果」(Ringelmann effect)と呼ぶこともあります。
「協同は本当に全員の精一杯の力を結集することになるのだろうか?」
「集団になると個人は自分の100%の力を出さないで少しずつ手を抜くようになるではないだろうか?」
リンゲルマン氏はそのように考え、1913年に馬の労働力を調査して次のような結論を出しました。
「馬車を2頭の馬で引かせても1頭で引かせた時の2倍の働きはしない」
これが社会的手抜きに関する最初の提言です。
この結果からリンゲルマンは「社会的手抜きは人間でも起こり得る現象ではないか?」と考え、綱引きの実験をしました。
何人かの男性に1本の綱を引いてもらいそれぞれが綱を引くために使った力を計測しました。
2人で1本の綱を引いた時の1人当たりの力は1人で綱を引いた時の力の93%でした。
3人になると85%になり、8人ではわずか49%だけしか力を出していないという結果でした。
この結果を聞くと驚くかもしれませんが、社会的手抜きは脳にとっては当たり前の現象です。
100%の力を出さなくても誰にも気づかれないのであればどうしてわざわざ全力を出す必要がある?
社会的手抜きはある意味とても合理的な考え方です。
みなさんの中にもきっと綱引きの時に全力を出さずに半分の力で綱を引いていた人がいるはずです。
「社会的手抜き」の驚くべき実情
社会的手抜きはお互いにごまかし合っている状態です。
そしてたいていの場合は意図的ではなく無意識にごまかしています。
さらに言えば社会的手抜きはひとりひとりの働きぶりが直接わかるような場面では発生しません。
グループ作業のように力を合わせる場面で他人に気づかれる頃なく手を抜いてこそ社会的手抜きなのです。
ですからスポーツを例にあげるとボート競技では社会的手抜きが発生しますが、陸上のリレー競技では発生しません。
なぜならリレーの場合にはひとりひとりの貢献度がはっきりとわかってしまうからです。
先ほどの綱引きの実験でも言いましたが「綱を引く人が多くなればなるほど1人の引く力が弱くなる」という社会手抜きは驚くべき現象ではありません。
脳にとっては当たり前の現象です。
真に驚くべきなのは「綱を引く人が多くなってもまったく力を出さなくなる人はいない」ということです。
ではどうして脳は完全にサボろうとはしないのでしょうか?
中途半端でも多少の力を出そうとするのでしょうか?
その理由はまったく働かないと目立ってしまうからです。
さらにはグループからはじき出されたり、自分に関して悪い評判が立ったりといった負の結果をともなうからです。
脳は賢いことにどの程度なら手を抜いても気づかれないかといった繊細な勘を持ち合わせています。
ですから手を抜いていても他人にはなかなかバレないわけです。
現実社会に見る「社会的手抜き」
社会的手抜きは今までご紹介してきた肉体的な作業における手抜きだけではなく精神的な手抜きも存在します。
たとえば街中で交通事故が発生したとしましょう。
街中なので多くの目撃者がいるはずです。
しかしほとんどの人は傍観者になってしまい被害者を助ける行動に出る人は少数派でしょう。
もし目撃者があなた1人だけであればすぐに助けに行くかもしれません。
しかし目撃者が多くなればなるほど実際に行動を起こす人は少なくなります。
このような現象を「傍観者効果」と言いますが、傍観者効果も社会的手抜きの一種と言えるでしょう。
助けに行かなければならないと分かっていても「きっと誰かが動いて助けに行ってくれる」という考えが脳を占拠してしまうのです。
この「きっと誰かが…してくれるだろう」という発想こそが精神的な社会的手抜きの根源です。
会議の司会者や授業で先生が「誰か意見がある人はいますか?」「誰かこの問題が分かる人はいますか?」と聞いても手を挙げる人はほとんどいないものですよね。
実際に意見があったり答えが分かっていたりしても
「きっと誰かが意見を言ってくれるだろう」
「きっと誰かが答えてくれるだろう」
と考えてしまうものです。
このように会議や授業などで参加メンバーが多くなればなるほどひとりひとりの参加意欲は低下していきます。
これも精神的な社会的手抜きの典型です。
しかしおもしろいことにグループの大きさがある一定のレベルに達すると個々の労働力は落ちなくなります。
そこから先はメンバーが20人いようが100人いようが関係ありません。
すでに手抜き度が最高に達しているからです。
「個人プレーよりもチームワークが大切」って本当?
日本人は世界の中でも個人プレーよりもチームワークを大切にする数少ない人種かもしれません。
“日本人の美学である利他行動の脳科学“についてはこちらの記事もご参照ください。
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日本は30年前に世界市場を自国の製品で埋め尽くしました。
経営学の専門家たちは日本の急激な経済成長を入念に調査して、日本の工場労働者はグループで働いていることに気がつき、その形を自分の国でも取り入れようと考えました。
しかしうまくいった部分もあればうまくいかなかった部分もありました。
ここまでの社会的手抜きの話を読んできて
「ぜんぜん共感できない」
「集団で動いている時の方が1人の時よりもより頑張れる」
という人もたくさんいたかもしれません。
まさにその通りで、日本人の脳は他の国の人の脳とくらべて明らかに社会的手抜きを嫌う傾向にあるとされています。
一方でアメリカ人やヨーロッパ人の脳は社会的手抜きを比較的好みますので、日本人のようにはうまくはいかないわけです。
ではそのような人たちに社会的手抜きをせずに個人プレーよりもチームワークを大切にするように仕向けるのはどうしたらよいのでしょう?
それにはチームのメンバーをできるだけ異なる分野の専門家で構成することです。
似たような分野の人が集まるとどうしても他人頼りになって社会的手抜きが横行してしまいます。
しかし集団の中にいても個々が異なる分野の専門家であれば個人の業績が評価されやすく個人プレーが直接チームワークに貢献されるので手抜きは起きにくくなります。
「個人プレー」と「チームワーク」…どちらが大切かではなくうまく連動させて個人もチームも成功するように相乗効果を期待するのがもっとも得策と言えるでしょう。
「社会的手抜き」にひそむ思わぬ落とし穴
「社会的手抜き」は集団になると個人の努力に劣化現象が起きることを指しますが、肉体的あるいは精神的な手抜き以外にも手が抜かれているものがまだあります。
誰でも悪い結果を自分だけのせいにはしたくないものです。
グループの中にいればその思いはなおさらで、「グループに従ってさえいれば自分1人で責任をとらなくてもいい」とついつい思ってしまいます。
これを専門用語では「責任の分散」と呼びます。
それでは責任を1人で負わずに分散するとどのような問題が起こるでしょう?
答えは、個人よりも集団で行動する方が大きな危険をおかしやすくなるという「危険な転向(リスキーシフト)」が起こります。
たとえばグループでディスカッションをする時は1人で判断するよりも、より大きなリスクを伴うような決断を下してしまう傾向があることが証明されています。
「失敗しても自分1人で責任を負うわけではない」という考えが脳にリスキーな選択をさせてしまうのです。
ですから重要な決断は大人数で決めるよりも責任ある個人に任せて決断してもらうに限ります。
「社会的手抜き」と「社会的促進」
グループの中にいると人は1人の時とは異なる行動をとりたがります。
そしてこの社会的手抜きが時にはグループにとってデメリットを引き起こすことがあります。
社会的手抜きによるグループ行動のデメリットを取り除くには個人個人の業績をできるだけはっきりさせることです。
しかし個人を重んじすぎて「実力主義」、「能力主義」などと主張すると現代社会では偏見や差別と非難されることにつながりかねません。
“偏見と差別の脳科学”についてはこちらの記事もご参照ください。
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そこで効果的なのが「社会的促進」という概念です。
「社会的促進」とは、ひとり(単独)で何かに取り組むよりも自分以外の人たち(集団)と一緒に取り組む時の方が、他人からプラスの影響を受けて個人の努力の質と量が促進され高まるという現象です。
たとえば綱引きで「他の人ががんばってるから自分がひとりぐらい手を抜いても問題ないだろう」とするのが社会的手抜きです。
一方で社会的促進が発生すると「他の人もがんばっているから自分もがんばろう」と考えるようになります。
他人(集団)の存在によってプラスの影響を受けて「努力が促進される」、つまり「もっと努力をしよう」と努力の質が高まれば相乗効果で最高の結果を導き出せますよね。
“自分を変える方法の脳科学”についてはこちらの記事もご参照ください。
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“「社会的手抜き」の脳科学”のまとめ
集団だと手を抜きたがる「社会的手抜き」をわかりやすく脳科学で説き明かしてみました。
今回のまとめ
- 集団になると個人の努力に劣化現象が起きることを「社会的手抜き」と呼びます。
- 「自分ひとりぐらい手を抜いても影響ないだろう」「きっと誰かがしてくれるだろう」という発想こそが社会的手抜きです。
- 社会的手抜きでは責任感も手抜きになるので「誰かが責任をとってくれるだろう」という発想から危険な決断を下しがちになります。
- 社会的手抜きを取り除くには集団においても個人の実力や能力に頼ることが有効です。
- 社会的手抜きの反対の発想…「他の人もがんばっているから自分もがんばろう」という社会的促進を取り入れて自分を変えてみてください。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
今後も長年勤めてきた脳神経外科医の視点からあなたのまわりのありふれた日常を脳科学で探り皆さんに情報を提供していきます。
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