挑戦して失敗するくらいなら最初から挑戦しない方がイイ…なんて思ってませんか?
そのような疑問に脳神経外科専門医であるへなおがお答えします。
このブログでは脳神経外科医として20年以上多くの脳の病気と向き合い手術、血管内治療、放射線治療を中心に勤務医として働いてきた視点から、日常の様々なことを脳科学で解き明かし解説していきます。
基本的な知識についてはネット検索すれば数多く見つかると思いますので、ここでは自分の実際の経験をもとになるべく簡単な言葉で説明していきます。
この記事を読んでわかることはコレ!
- 今のままが一番イイと感じてしまう「現状維持バイアス」についてわかりやすく脳科学で説き明かします。
破壊なくして創造はなし
現状維持バイアスの脳科学
- 脳には「現状を維持して変化を受け入れたくない」という「現状維持バイアス」が働いています。
- 「現状維持バイアス」におちいる理由には「損失回避性」「プロスペクト理論」「保有効果」があります。
- 「現状維持」は決して退化でも後退でもありません。
- 無意識的におちいりがちな「現状維持バイアス」をしっかり意識、理解して新しいことにチャレンジしましょう。
破壊なくして創造はなし
悪しき古きが滅せねば
誕生はなし
時代を開く勇者たれ
2005年にこの世を去った伝説のプロレスラーである破壊王橋本信也さんの名言です。
一度は聞いたことがある人も多いのではないでしょうか?
決して現状に満足しているわけではなくてもなかなか新しい一歩が踏み出せずにズルズルと先送りしながら「今のままが一番イイ」と思い込んでいる人は決して少なくないはずです。
たとえ「悪しき古き」慣習と思っていてもそれを打破するには勇気が必要です。
なぜなら現状を変えるということは変化を起こすということでありそこには当然失敗のリスクが伴いますし場合によっては現状より悪くなる可能性も秘めているからです。
時には後悔することもあるかもしれません。
今までと違う新しいことの誕生にはリスクはつきものです。
一方で現状維持を選択すればあえてリスクにおびえる必要もありませんし無駄な労力も払わなくて済みます。
ですから脳は無意識のうちに現状を維持して何もしなくて良い理由を探そうとします。
現状維持バイアスの脳科学
このように「現状を維持して変化を受け入れたくない」という脳の作用を「現状維持バイアス」と言います。
現状維持をしようとすることははたして退化であり後退なのでしょうか?
今回はきっと誰でも一度は経験したことがあるであろう「現状維持バイアス」についてわかりやすく脳科学で説き明かします。
「現状維持バイアス」におちいる理由
「何かを変化させることで現状がよりよくなる可能性があるとしても損失の可能性を考慮して現状を維持しようとする」そんな脳の働きを「現状維持バイアス」と呼びます。
つまり「挑戦して失敗するくらいなら最初から挑戦しない方がイイ」そんなスタンスです。
ではなぜこのような作用が働いてしまうのでしょうか?
「現状維持バイアス」におちいる理由には主に次の3つがあげられます。
損失回避性
プロスペクト理論
保有効果
ではそれぞれについて探っていきましょう。
得するよりも損をすること嫌う「損失回避性」
人が「現状維持バイアス」におちいる理由の1つ目は「損失回避性」です。
では「損失回避性」とはどのようなものなのでしょうか?
たとえば「コインを投げて表が出れば1500円もらえるけれど裏が出た場合は1000円を支払わなければならない」というゲームをしたとしましょう。
表と裏が出る確率はそれぞれ2分の1です。
当然のことながら同じ確率です。
あなたならこのゲームに参加したと思いますか?
理屈から言えば表が出る確率と裏の出る確率は同じなのですからもらえる額の方が多いのであればこのゲームには参加すべきでしょう。
しかし実際には多くの人はこのゲームへの参加に難色を示すとされています。
「損失回避性」とは読んで字のごとしで「損をすることを避けたいと思う脳の働き」のことです。
脳は利得と損失を比較する際に損失の方をより重大だと感じてしまいます。
このように物事を眺める時にどこをフレームの中心に持ってきて注目し強調するのかで印象が変わり意思決定に影響をおよぼす現象を「フレーミング効果」と言います。
“フレーミング効果の脳科学”についてはこちらの記事もご参照ください。
参考視点を変えると世界が変わる~フレーミング効果を脳科学で探る
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先ほどと同じゲームで裏が出てしまった場合に1000円支払わなければならないとして、では表が出た時にいったいいくらもらえるのであればゲームに参加しますか?
こんな質問をすると多くの人は2000円前後と回答することがわかっています。
利得と損失がどれくらいの倍率であれば釣り合うのかという「損失回避倍率」については多くの研究がおこなわれています。
その結果個人差はあるものの損をする分のおおよそ1.5~2.5倍の利得があって初めて脳は損と得が釣り合うと感じることが明らかになっています。
これほどまでに脳は損失を嫌い極力回避しようとするのです。
得る喜びよりも失う恐怖を生み出す「プロスペクト理論」
「プロスペクト理論」とは、行動経済学者のダニエル・カーネマン氏とエイモス・トベルスキー氏が1979年に提唱した学説です。
Daniel Kahneman and Amos Tversky. Econometrica 47(2): 263-291, 1979.
プロスペクトとは英語で「期待」や「予想」という意味です。
「プロスペクト理論」とは予想される利害額や確率などの条件によって人間がどのように意思決定を行なうのかをモデル化したものです。
私たちの意思決定は必ずしも合理的に行なわれているわけではなく感情や感覚による「ゆがみ」を伴っています。
“宝くじの脳科学”についてはこちらの記事もご参照ください。
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宝くじの1等の当選確率は何千万分の1という天文学的な数字ですがなぜかわたしたちは「ひょっとしたら当たるかも」という無謀な期待をしてしまいます。
もし人間がAIのように合理的な思考をもっていたら宝くじを買う人などいないはずです
”AIの脳科学”についてはこちらの記事もご参照ください。
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わたしたちは物事が起こる確率を正確に認識しているわけではありません。
小さな確率ほど大きく見積り大きな確率ほど小さく見積ってしまうという「ゆがみ」をもっています。
ですから宝くじが当たる確率など皆無に等しいにもかかわらず「ひょっとしたら当たるかも」という過度な期待をしてしまうのです。
従来の行動経済学では「人間は常に合理的な意思決定をする」ことが前提であったため実際の人間の行動パターンを十分に説明しきれず理論と現実のあいだにズレが生じていました。
「プロスペクト理論」は意思決定の不合理さを徹底的に観察して構築された、より現実にそくした理論です。
ちょっと話がそれてしまいましたが「プロスペクト理論」では人は何かを得る時よりも失う時に受ける影響の方が大きいと示しています。
この傾向は失うことを避けようとする「心理的リアクタンス」が別の形で現れたものです。
「心理的リアクタンス」とは自分の選択や行動の自由を制限されるように感じると脳は制限するものに対して反発や逆らう行動をとろうとする性質です。
”心理的リアクタンスの脳科学”についてはこちらの記事もご参照ください。
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先ほどの「プロスペクト理論」の説明でも言ったようにわたしたちの意思決定は感情から生じた「ゆがみ」に影響されます。
その「価値の感じ方のゆがみ」を「プロスペクト理論」では関数で表し「価値関数」と呼んでいます。
中心から左右に同じ距離(この場合はどちらも1万円分)を離れたとしても感じる嬉しさ(中心の横線から上へ向かう距離)とがっかり感(下へと向かう距離)は大きく異なります。
利益を得たことによる喜び(グラフの右上の曲線)は損失をこうむったことによるがっかり感(グラフの左下の曲線)より線のカーブが緩やかです。
これは利益を得た時の方が生じる感情が弱いことを表しています。
したがって嬉しいという感情ががっかり感を上回るためには利得が損失の1.5~2.5倍の大きさになる必要があるわけです。
行動を起こす際のメリットがこの倍率を下回る場合は損をする可能性があることから脳は行動を起こす必要性を感じず現状のままでいることを望むのです。
一度手に入れたものを手放したがらない「保有効果」
ここまで「現状維持バイアス」におちいる理由を探ってきました。
1つ目は「損失回避性」
2つ目は「プロスペクト理論」
そして最後は「保有効果」です。
「保有効果」とは一度何かを手に入れるとそれが自分の手元になかった時よりも価値が高いものであるように感じて手放す際に抵抗を感じる現象です。
「現状維持バイアス」は「保有効果」が生じる際に顕著に発生します。
実験参加者を2つのグループにわけて片方のグループだけに6ドル相当のマグカップをわたします。
マグカップをもらえなかったグループには同じ製品を見せていくらなら買うかをたずねます。
またマグカップをわたしたグループにはもらったマグカップをいくらなら手放すかをたずねます。
その結果それぞれのグループが答えた金額は以下の通りでした。
マグカップをもらえなかったグループ → 2.87ドル
マグカップをわたしたグループ → 7.12ドル
2つのグループではなんと2倍以上の差が見られたのです。
Daniel Kahneman, et al. Journal of Political Economy 98(6): 1325-1348, 1990.
実はどちらのグループにも「保有効果」が働いているのです。
マグカップをもらえなかったグループが本来の価値よりも低い価格を提示したのはマグカップを持っていないという現状を変えないように、そしてその程度の安いものなら必要ないと思い込むためです。
一方でマグカップをわたしたグループが本来の価値以上の価格を提示したのはいったんマグカップを自分のものとしたことでそのマグカップの価値が高まったように感じ手放すのに抵抗を感じたためです。
このようにいずれも「保有効果」が無意識のうちに働いているわけです。
「この商品には愛着がある」とよく言いますがこの「愛着」も「保有効果」を言語化した言葉です。
知らない店に行ったりせずにチェーン店や馴染みのある店に行きがちなのも「保有効果」と言えるでしょう。
通信販売で「〇日以内なら返品可能」という記述をよく見かけますよね。
ここにも「保有効果」が働いています。
自分が購入して所有しているモノに高い価値を感じ手放したくないという「保有効果」に加えて返品のための手続きの煩雑さによって実際には返品されにくいという脳の特性を知った上での販売戦略ですので注意が必要です。
このように脳が無意識で「保有効果」を働かせることによって人は「現状維持バイアス」におちいるのです。
現状維持は退化であり後退なのか?
脳はメリットよりもデメリットに敏感です。
それは人が生きていく上では大切なことです。
人類が誕生して生き延びて子孫を残していくためには極力リスクを回避して現状を維持していくことが必要不可欠です。
“人類史の脳科学”についてはこちらの記事もご参照ください。
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ですから現状維持は決して退化でも後退でもありません。
安全に安心して生きていくためには「現状維持バイアス」は欠かせないのです。
しかし狩りをしていた時代の変化のスピードとインターネットが発達した現代の変化のスピードはまったく違います。
現代社会では変化をしていかないと時代の流れから取り残されてしまうこともあります。
“ネットリテラシーの脳科学”についてはこちらの記事もご参照ください。
参考デジタルネイティブからスマホネイティブへと進化する新たな世代のネットリテラシーを脳科学で説く
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新しいシステムや制度の方が優れているのに旧来のモノにこだわって改良されないという現象は「現状維持バイアス」がその原因です。
他人を説得して現状を良い方向に変えたいのであればデメリットと比較してメリットが十分に大きくなるような策を練ることが必要です。
またすでに手にしているものを持っていない状態であると想定して考える「ゼロベース思考」も有効でしょう。
しかしなにも「現状維持バイアス」を捨て去って新しいものを探求せよと言っているわけではありません。
「新規探求」は一か八かであり常にリスクが伴います。
“一か八かの脳科学”についてはこちらの記事もご参照ください。
参考目の前の確実な利益かそれとも未来の不確実な勝負か~一か八かの賭けを脳科学で探る
あなたは目の前の確実な利益を選びますか?それとも未来の不確実な勝負を選びますか? そのような疑問に脳神経外科専門医であるへなおがお答えします。 このブログでは脳神経外科医と ...
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冒険して新しいことにチャレンジすることは決して悪いことではありません。
“現状維持バイアスの脳科学”のまとめ
今のままが一番イイと感じてしまう「現状維持バイアス」についてわかりやすく脳科学で説き明かしてみました。
今回のまとめ
- 脳には「現状を維持して変化を受け入れたくない」という「現状維持バイアス」が働いています。
- 「現状維持バイアス」におちいる理由には「損失回避性」「プロスペクト理論」「保有効果」があります。
- 「現状維持」は決して退化でも後退でもありません。
- 無意識的におちいりがちな「現状維持バイアス」をしっかり意識、理解して新しいことにチャレンジしましょう。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
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